心理学コラム

【臨床心理士の戯言】症状を手放す勇気。

こんばんは、旅する心理士ゆうちょ(@yuucho_obake)です!

今回は完全な戯言ブログなので興味ない方はそっと画面を閉じてください。
ちょっと考えていることについて書きたいと思います。

症状って言えば皆さんは何を思い浮かべますか?

風邪だったら、「咳」「鼻水」

うつ病だったら、「不眠」「落ち込み」「だるさ」「無気力」

 

ひとはストレスが強くかかった時も、様々な症状を出します。

多いのは、不眠、イライラ、胃腸不調、頭痛とかですか。

 

わたしの場合は、アトピー、胃腸不調、月経不順、息苦しさ、不整脈かな。
わたしは、自分の気持ちを自覚するのが苦手なので、その分からだに出やすいタイプです。

 

症状と聞くと、悪いもの、無くさなきゃいけないもの、治療の対象と考えると思います。

でも、一つの考え方では、症状は自分を守ってくれるものでもある。ストレスが強くかかって、それでもやっていかなきゃいけない時、自分の代わりに辛さを訴えてくれたり、吐き出してくれているとも言える。ちょっと極端かな。

症状が身を守るってちょっとイメージしにくいかもしれない。

例えば、ストレスかかったときにケーキとか甘いものをたくさん食べるって人は多いと思う。ケーキはわたしのストレス対処法だからケーキやめろってのは無理な話。でも、それでケーキを食べすぎて自分でコントロールできなくなって過食症になるかもしれない。例えば、解離もそう。感覚を麻痺させることで辛さを感じなくて済む。例えば、いじめとか自分が直面したくない辛い場面で、解離して、いじめられているのは別の自分で、本当の自分はそれを別のところから眺めている。映画のファイトクラブみたいな。解離はその場を凌ぐには最強のスキル。でも、これも精神科では解離性障害。

なんとなくイメージしてもらえたらいいのだけど、こんな風にストレス対処と症状が紙一重の場合もある。

 

数ある対処法の中で、不適切、不健康と考えられるものも多い。いや、対処法の中の、不適切、不健康なものを症状というのかな。解離もそうだろう、アトピーの搔きむしり、アルコール依存症のアルコール、強迫性障害の手洗いなど色々。大体は社会生活に影響あるか、ないかで適切か不適切か考えられると思う。例えば、アトピーの場合は、人様には迷惑かけない。汚い肌晒して不快に思っている人がいたらごめんなさいだけど。でも、自分は生活は遅れるけど、痒くて我慢しているイライラしたりとか、掻きむしった後悔とか病院代とか、社会生活に影響ないわけではない。その辺のところが曖昧だからこそ、なかなか手放せないのもあるんだろう。

そんな症状が長く続いてしまうと、症状があるのが当たり前になって、症状自体が癖みたいになってしまいます。現在は昔のようなストレスがなくなっていたとしても、癖のように続いていたり、かつては一緒に戦った戦友なので、別れも惜しい。愛着もある。いないと不安。ずっとあるものがなくなるのは不安です。

もし、症状が癖のようになってしまっているのなら、それを手放す勇気も必要かもしれない。

今まで一緒にやってきた症状ではない、別の対処法を身につけるなり、自分はやれるんだっていう自己効力感をアップしたり、防御力を高めた上での話だけど。

 

多分、別れなんてそんなに綺麗にはいかないし、たまに症状が出たり、一時的にうわっと増えたりするかもしれない。それでも、今まで症状に頼って生きてきて、支えてくれたことに気づき、お礼を言って、症状を手放す勇気も必要なのだろう。あと、症状が出せるってのもある意味、その場が安全だったり、大切だったりするのかもしれないけどね。症状自体に意味があったりするから。

あとはね、症状自体の意味ってことでは、自分自身への罰の場合もあるかもしれない。自責傾向が強い人は良くなっちゃいけないと思っている場合もある。
そろそろ前に進もうかなって時に、自分にどんな症状があってどんな意味を持っているのか、考えて見るのも大切かもしれないな。

とか、考えてます。だらだら書いてしまった。

なんでこんなこと考えていたかというと、長年付き合っていたアトピーとお別れしようかと思って。15年くらいか。そんな簡単な話じゃないけど。

ただの心理士の戯言です。